熱情劇場

日本語めちゃくちゃ断末魔

伊月のバスケ

 年が明けてもう昨年の出来事となってしまったが、劇場盤アニメ「LAST GAME」として「黒子のバスケ」という作品のストーリーはアニメを含めてある意味で完全に完結した。原作本編が完結したのはもう三年以上前と随分遠い過去のことになってしまったものの、私は最終巻である単行本30巻の、作者である藤巻先生の御言葉が未だに心に残っている。
『このお話は、主人公黒子テツヤ側から見た、彼の高校生活の一部を描いたにすぎません。他の人物から見た、他の時代もあるでしょう。その話はもっと白熱した試合をしている話かもしれないし、もしかしたら辛く耐えなければならない話かもしれません。ですがどのお話でも言えるのは、きっと全員バスケットボールに真剣に向き合い、全力で生きていると思います。』
 きっと主人公である黒子テツヤはもちろん、誠凛高校バスケットボール部全員にとってこの年のWCは生涯忘れられない、強烈で感慨深い記憶となったことだろう。30巻と同時に発売されたキャラクターブック・くろフェスで行われた各ポジション人気投票では、嬉しいことに誠凛スタメン全員が第三位までにランクインしていたため、彼らの喜びのコメントを聞くことができた。アニメが始まってからという遅いスタートではあったもののここまで彼らと一緒に頂点を追い続けてよかったと心から思った。
 それと同時に、私は一つだけ後悔していることがあった。黒子のバスケ単行本には、ストーリーとストーリーの間に質問コーナーなるものが設けられており、読者から届いた質問に藤巻先生御本人が答えて下さるという夢のような場が存在していた。私はそのコーナーでできたらぜひとも答えてほしい質問があったのだ。それは「伊月俊が誠凛高校に進学した理由」だった。
 伊月俊は、私にとって最も注目しているバスケットボール選手であり、最も応援したい人物であり、最も好きなキャラクターであり、いうなれば「推し」である。そしてそれと同時に謎が多く作品が完結した今でもつかみどころのない男だ。藤巻先生ご自身も彼について「1話から出ているはずなのにびっくりするくらい後半までキャラの掘り下げができなかった」と語っており、私を含めた伊月俊のファンも彼を謎めいたキャラクターとして見ていた面が強かったのではないかと思う。決して情報量が少ないわけではない。誕生日血液型身長体重趣味好きな食べ物などといった基本的なプロフィールはもちろん、上記の質問コーナーでは彼に関する質問にも藤巻先生がたびたび回答していたり、こちらも同じくストーリー間のページに記載される単行本描き下ろしNG集や小説版でもスポットが当たることが多いため、伊月俊が誠凛バスケ部で一番モテること(ただし大概ネタ帳を見て去っていく)、現在(霧崎戦前)ネタ帳は108冊を到達していること、さらに主人公とその光ですら明かされていない家族…若く美しい母、大学生の姉・綾さん、妹の舞ちゃんといったともにダジャレ好きで美しい顔立ちをしており、とても家族仲の良い様子が公開されており、おまけに愛犬の名前がまるおであるということまで読者である我々は知っている。今こうして振り返ってみても伊月俊というキャラクターについての情報量は他キャラやメインであるキセキの世代の面々と比較しても多い方なのではないかと思う。
 キャラ人気の方も根強い。第一回人気投票ではまだキセキの世代の登場は黄瀬・緑間・青峰の3人のみだったとはいえ、伊月俊はその中で第5位にランクインしている。続く第二回目では7位、第三回では13位、くろフェスで行われた黒バス大賞では第12位という結果になっており、もともとのキャラ数が多く、またストーリー後半になるにつれて詳細の明かされるキャラも多かったこの作品において人気の高いキャラクターと言ってさしつかえないのではないだろうか。
 さて、ここまで伊月俊について話してきたが、今回は別に彼についてのステマがしたいわけではなく、ここまで情報量が多いにもかかわらずなぜ謎だとされているのか、ということである。それはおそらく、伊月俊の視点(いわゆるモノローグ)で物語が進んだことがほとんどないからだろう。伊月俊はPGというポジションであるがために、試合描写の中でのモノローグは多かった。全国レベルで考えたときに決して身体能力が高い方ではなく、パラメータを見ても「平均的」と評されることの多い伊月俊の武器は、特殊能力である鷲の眼を活かした正確なパスだ。そのため、試合中の様子や局面が彼の思考を通して描写されることも多かったように思う。しかし、前述したように伊月俊自身の思いが彼の口から語られることはほとんどといっていいほどなかった。
 伊月俊、そして日向順平をはじめとする初代誠凛高校バスケ部の成り立ちは単行本11巻の第95Q~99Q無しでは語ることができない。バスケ部の無かった新設校である誠凛高校に進学した伊月俊と勝つことのできなかった中学時代を過ごしたことでバスケを諦めたチームメイト・日向順平が無冠の五将として名をはせた木吉鉄平と出会い、誠凛高校バスケ部が創設されるまでの過程が描かれた本編の1年前のエピソードであった。バスケ部が無いということを知って「じゃあ創ろうぜ」と事もなげに言い放ち勧誘を続ける木吉鉄平に対し断固拒否する日向順平の一方、隣にいた伊月俊は「オレはいいけど…」とあっさり入部を決めるのだった。私はこの間(特に第95Q~97Q)の伊月俊の表情を見るたび胸が締め付けられる思いだった。バスケ選手とは思えぬ金髪ロン毛にイメチェンを果たし荒れた姿で「結局一勝もできなかったじゃねーか」と遠い目をする日向順平をどこか悲し気な顔で見つめる伊月俊、「部活やるならお前も他になんか見つけろよ」と言い捨て去る日向順平を納得のいかない、悔しい表情で見送る伊月俊、「日向は正直シューターとして相当だったと思う。それでも勝てなかったのはオレ達チームメイトが一番の原因だよ」とうつむきながら語る伊月俊、日向順平が元通りの髪型に戻し、屋上の誓いにやってきたときの安堵した、嬉しそうな伊月俊…。いずれも、伊月俊の本当の思いは彼自身の口からは語られていないため、これらの表現もほぼ私の憶測である。あの日あの時、本当は伊月俊がなにを想っていたのかは文字通り神のみぞ知ることだ。
 伊月俊を語るうえでもう一つ欠かせない情報は、誠凛の中で最もバスケ歴が長いということだ。この事実はWC準決勝・VS海常戦の最中に日向順平の口から明かされた事実であり、あまりにも予想外の情報に私は心底驚いた。私はそれまで、伊月俊は中学からバスケを始めたものだと勝手に思い込んでいたのだ。伊月俊がバスケを始めたのは小学二年生のミニバスから。それは主人公黒子テツヤよりも、その光でありエースである火神大我よりも、無冠の五将・木吉鉄平よりも、そしてこの事実を語る日向順平よりも、誠凛スタメンの誰よりも長い年数だった。「バスケに懸けた思いは誠凛一さ」日向順平は、海常チームがまず伊月俊を抜くことを前提に攻めてきていることを指摘してから、本人ではなく火神大我を通して読者である我々に伊月俊のバスケについてを語った。
 以上の二つのエピソードを整理したうえで、一つの疑問が生じないだろうか。冒頭に戻るが、それは「伊月俊はなぜ誠凛高校に進学したのか」という疑問だ。この疑問が生じてから、あらゆる可能性を考えた。

 まず、「伊月俊も日向と同じくバスケを諦めていたから」という説。これは早々に否定される。なぜなら、木吉鉄平がバスケ部創設に誘ってきたとき伊月俊はあっさりと「オレはいいけど・・・」と承諾しているのだ。バスケを諦めていたのならこんな風に即答はしないだろう。もうできればやりたくないけど誘われたからやってみようかな、そう考えたという可能性もあるかもしれないが、一度決めたことは最後までやり抜き、周囲からは頑固(日向順平談)と評される伊月俊がそんな優柔不断かつ適当な判断を下すとは到底思えない。

 次に「誠凛高校が目標とする大学進学にあたり有利だった」説。これもあまり有力ではない。なにしろ誠凛高校は伊月俊や日向順平が第一期生の新設校だ。私立であるとはいえ、歴史があるわけでもなく大学付属であるわけでもないため進学に有利とは考えられない。「家が近かった」説。ある意味この三つの中では最も現実的であるかもしれないが、やはりここでも果たして伊月俊がそんな理由で高校進学を決めるだろうか、という考えを拭い去れない。…といった風にいくつかの説を考えてはいたが、本編での伊月俊の言動や表情を見ていて最も有力な説は本当は自分の中でずっとわかっていた。「バスケ歴がチーム内で最も長い」「頑固」「一度も勝てなかった中学時代」「日向順平」…これらのキーワードから伊月俊の誠凛高校への進学理由について導き出される答えなど一つしかない。「日向順がいたから」これ以外何が考えられるだろう。誠凛過去編で特に印象的なのが、伊月俊は中学時代日向順平が一度も勝てなかった原因を「オレ達チームメイトが一番の原因」と語っている場面だ。伊月俊は、日向順平が勝てなかった要因に「オレ『達』」と自分自身を含めている。チームメイトを勝利に導くことができなかったうしろめたさ、そういった面がありバスケを諦め荒れる日向順平を放っておけなかったのではないか、そう考えていた。
 けれども、私がいくらこんなところで憶測を重ねていてもそれは憶測というか妄想にすぎない。真実を知るのは作者である藤巻先生のみ。いつか質問コーナーにでも投稿して事実が知りたい…そう思ってはいるものの何も行動できずにいるうちに本編は完結してしまった。アニメも終了してしまった。EXTRA GAMEも完結してしまった。劇場盤黒子のバスケLAST GAMEも上映終了し、DVDが発売してしまった。もう黒子のバスケ単行本での質問コーナーで質問に答えてもらえる機会など金輪際ない。伊月俊の誠凛高校進学理由の謎は一生謎のままなのか、そう思い半ばあきらめていた2017年12月。そのチャンスは突然やってきた。
 毎年12月中旬に幕張メッセで開催される祭典・ジャンプフェスタにて、藤巻先生が現在連載されているROBOT×LASERBEAM(以下ロボレザ)のステージが行われることになっていた。先生ご本人のご登壇はないものの、担当編集の方により裏話や質問コーナーが設けられている、という企画内容だった。そこで、ステージで回答される藤巻先生への質問をTwitterでの緊急募集が始まったのだ。「ロボレザに関することでも、黒子のバスケに関すること、その他なんでもOK!!」そう記されたロボレザ公式アカウントからのツイート内容を見て、血が騒いだ。聞きたい…聞くべきか…?でもここで送ってもし採用されたらついに真実を知ることになってしまう…それはそれで怖い…。私がもたもたと考えている間にも、次々と質問が寄せられている。その寄せられた質問を覗いてみると、「伊月はなぜ誠凛高校に進学したのですか?」「伊月の進学理由が知りたいです」といった私と同じ疑問を抱いた勇気あるファンがどんどん質問を送っていた。(そうだ、伊月俊の進学理由を知らずには死ねないじゃないか。それにもうきっとこんな機会は当分ない。逃すわけにはいかない。)そう思った私はすぐに質問を送った。私以外にも同じ質問を送っているファンは何人もおり、皆ずっと知りたかったんだなあ…と感慨深い気持ちになった。
 そして12月16日、私は幕張メッセに向かった。11時10分からのロボレザステージの待機列に並んでいるとき、心臓が飛び出しそうなほどうるさかったことをよく覚えている。列が解放されてステージ前に並ぶと、間もなく担当編集の方がご登壇し、道行く客を引き込もうと宣伝を始めた「質問に答えるよー!ロボレザとか黒バスの話するよ~!」「伊月の話とかするよー!!」人生で初めて本気で心臓が止まるかと思った。前述したように私以外にも伊月俊についての質問をしている人は何人もおり、ファン同士でふぁぼやリツイートをしあうことでツイートリプ欄上方に来るようになっていたため、正直質問に答えてもらえる希望は強い予感がしていた。けれども、まさか…。見渡すと伊月俊の痛バを持つ人を何人か見つけて事態の深刻さをより実感した。
 ステージ企画は滑らかに進んでいった。ロボレザ連載開始に至った経緯、藤巻先生のゴルフの腕前などのエピソードが語られた後、質問コーナーに突入した。質問は募集したものの中から選ばれたものを担当編集の方から藤巻先生にメールで送り、当日返信が来たという、まさにリアルタイムでの回答であった。
 震えが止まらなかった。早く知りたいけど知るのが怖い、逃げたいような気持ちでいっぱいだった。質問は全部で五つ読まれ、メモも取っていたがその字のミミズが這ったような汚さが私の緊張と興奮を物語っている。
 四つ目の質問に入った。画面いっぱいに、「バスケ歴がチーム内で最も長く、またバスケが好きだという気持ちも誰にも負けないはずの伊月俊くんは、なぜバスケ部の無い新設校である誠凛高校に進学したのですか?」と質問内容が映し出される。「この質問ねーすごく多かったです!伊月愛されてるねー!」そして、こう続いた。


「日向とバスケがしたかったから」


ああ、やっぱり。
公式になってしまった。
妄想じゃなかった。
どうしよう。
ゾーンに入った時ってあんな感じなのではないかと思う。何万人もいるであろう幕張メッセのざわつきが一気に遠のき語彙力が消失していく感覚を実感した。


「伊月は、今は諦めていても日向は再び必ずバスケをやると信じていました」
「もしあの時木吉と出会わなくても、伊月なりの方法で日向とバスケ部を創っていたと思います」
「本編にはなかったけど、この二人にも黒子・火神にも負けない小中からの絆があります」


 もうメモの手が追い付かなかった。涙と鼻水が止まらなかった。恥ずかしながら、正直後半は何をお話されていたかあまり覚えていないため、汚いメモとレポを組み合わせて上記のようなことが語られていたことを理解した。
この事実を知って数時間経って少しずつ頭の整理ができてから、私は伊月俊について何もわかっていなかったのだと愕然とした。「日向とバスケがしたかったから」伊月俊は誠凛高校に進学した。それは間違っておらず、予想に違わなかった。しかし、重要かつ伊月俊という男を表しているのはその後だ。
 私は伊月俊が日向順平を追って誠凛高校に進学したことについて、日向順平が勝てなかった原因は自分にもあると考えているため、自分だけバスケを続けるのはどうなのか、と疑問を抱いた結果なのだと考えていた。そしてあわよくばまた一緒にバスケがしたい、でも勝てなかった原因である自分に「もう一度バスケをやろう」という資格などない…そう考えていたところに現れたのが木吉鉄平だと思い込んでいた。けれども、それは一つも当たっていなかったのだ。
 伊月俊は、日向順平は再びバスケを始めると「信じて」いた。信じていたからこそ無理にバスケを再開することを勧めるのではなく、「見守る」という手段をとっていたようだ。あれは、伊月俊なりの方法だったのだ。となると、私が「悲し気」であったり「悔しそう」と表現した表情は、全く別の意味を含んでいる可能性だってある。もしかしたら「いつまで腐ってんだよ日向。はやく立ち上がってくれよ」という感情だったのかもしれない。「まあ今はこうでもそのうちまたバッシュはいてるだろ」と思っていたのかもしれない。そこまではわからないが、少なくとも伊月俊が日向順平に対し罪のような意識は一切なく、そこには仲間に対する敬愛や尊い信頼があったのだということがわかった。伊月俊は私が思っていた以上に光に満ち溢れていて、柔軟な男だった。なんて、なんて尊いんだろう。
 もし本当に木吉鉄平が現れなかったら、伊月俊は日向順平に対してどのような行動を起こしていたのだろうか。これが「黒子のバスケ」というストーリーである以上そんなことは有り得ないが、やはり気になる。そして同時に新たに明らかになった、日向順平と伊月俊が同じ中学はおろか小学校からの付き合いであるという事実。もしかしたら日向順平の「運動部で一番面白そうだったから」という理由でバスケを始めた背景には、伊月俊の存在も関係しているのかもしれない。というか日向順平は、伊月俊が誠凛高校に進学した理由が自分とバスケをするためだと知っているのだろうか。知らないだろうな。ならば知った時どんな反応を示すのだろうか。いやでも伊月くんのことだからきっと自分からは一生言わないんだろうな…。こんな風にさまざまな妄想想像がふくらんでいくのだから、伊月俊はやめられない。
 伊月俊のキャラクターソングB面「たったひとつの日々」ではバスケ部創設~現在の彼の思いが歌詞になっている。


いつか何もかもが思い出話になったって 懐かしいオレ達がいるね
嬉しかったことばかりじゃなくたって

他には考えられない たったひとつの日々だった

そう思える気がする 今のずっと未来で


これが何も明らかになっていない2012年発表の楽曲だというのだから本当に驚く。こだまさおり氏…。
 「黒子のバスケ」は、主人公黒子テツヤ側から見た、彼の高校生活の一部を描いた物語だ。
「他の人物から見た、他の時代もあるでしょう。その話はもっと白熱した試合をしている話かもしれないし、もしかしたら辛く耐えなければならない話かもしれません」藤巻先生はそう語っている。それならば、「伊月のバスケ」はどんな話なのだろう。きっと辛く耐えなければならなかった時期も、悔しい思いをした時期も沢山あったのだと思う。それでも伊月俊は、WCの結果について「最高だったよ。一生思い出に残ると思うな」とコメントしている。中学時代一度も共に勝利を味わえなかったチームメイトを信じて同じ高校に進学し、何度も挫折し己の力の無さを嘆き、ついに日本一になったのだ。表彰式でスタメン全員がまっすぐ前を見ている中、伊月俊だけが少しうつむいて喜びを噛み締めている表情をしているのが頷ける。他者から見てどうであれ、日向順平と再びバスケをするために誠凛高校に進学し、走り続けてきた時間こそが伊月俊にとってのかけがえのない大切な「たったひとつの日々」だったのだ。


「伊月のバスケ」はきっとまだまだ続くだろう。

 

願わくば、伊月俊が主人公であるその話の結末が光に満ちていますように。